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神戸地方裁判所 昭和61年(行ウ)16号 判決

兵庫県姫路市辻井一丁目三番三三号

甲、乙事件原告

竹中正

同県同市御国野町国分寺五三四番地

乙事件原告

竹中冨久子

岡山市福泊一六八番地の八

乙事件原告

河合英子

神戸市東灘区深江本町二丁目五番一〇号

乙事件原告

長谷川八重子

兵庫県姫路市町の坪三九九番地の六

乙事件原告

竹中英樹

名古屋市昭和区山里町一六〇番地

乙事件原告

玉田正子

岡山市新京橋一丁目七番一五号

乙事件原告

竹中武

原告ら訴訟代理人弁護士

水田博敏

右訴訟復代理人弁護士

岩崎豊慶

原告ら訴訟代理人弁護士

前田知克

兵庫県姫路市北条字中道二五〇番地

甲、乙事件被告

姫路税務署長 宮本益実

右指定代理人

白石研二

巌文隆

川井忠雄

的場秀彦

城米賢一

川北孝

佐藤晃男

主文

一  原告竹中正の甲事件請求及び原告ら七名の乙事件請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、甲、乙事件を通じ原告らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

(甲事件関係)

一  請求の趣旨

1 被告が原告竹中正(以下「原告正」という。)の被承継人竹中正久(以下「正久」という。)に対して昭和五七年九月一六日付けでした昭和五四年ないし昭和五六年度分の所得税決定及び重加算税賦課決定処分のうち、別紙一の同原告主張額欄記載の額を超える部分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告正の請求を棄却する。

2 訴訟費用は右原告の負担とする。

(乙事件関係)

一  請求の趣旨

1 被告が、被相続人正久の相続に関する相続税につき、平成二年六月二〇日付けでした別紙二記載の各原告に対する相続税更正処分、原告竹中冨久子、同河合英子、同長谷川八重子、同竹中英樹、同正、同玉田正子に対する無申告加算税の賦課決定処分、同竹中武(以下「原告武」という。)に対する重加算税の賦課決定処分をいずれも取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(甲事件関係)

一  請求原因

1 被告は、正久の昭和五四年ないし昭和五六年度分(以下「本件係争各年分」という。)の所得税につき、同人に対し、昭和五七年九月一六日付けで別紙一の決定額欄記載のとおり税額の決定(以下「本件甲決定」という。)及び重加算税賦課決定(以下、本件甲決定と併せて「本件甲処分」という。)をした。

2 正久は、本件甲処分に対し、同年一一月一六日、被告に異議の申立てをなしたが、その翌日から三か月を経過しても異議申立てについての決定がなかった。

3 正久は昭和六〇年一月二七日死亡し、原告正は、その相続人の一人として同人の納税義務及び異議申立人たる地位を承継し、同年八月二〇日、国税不服審判所長に審査請求をしたが、その翌日から三か月を経過しても裁決がなかった。

4 しかしながら、本件甲決定のうち別紙一の主張額欄記載の金額を超える部分は正久の所得を過大に認定した違法なものであるから、原告正は、本件甲処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の事実は認めるが、4は争う。

三  抗弁(本件甲処分の適法性)

1 本件甲処分の経過

正久は、暴力団竹中組の組長として、野球賭博、競馬、競輪等のノミ行為、本引賭博の開帳による収入がありながら、所得税の確定申告を行っていなかった。被告は、大阪国税局査察部が行なった正久に対する所得税脱税の嫌疑による強制調査の結果に基づき、昭和五七年九月一六日付けで本件甲処分を行ったが、正久の所得金額等を実額計算するために必要な帳簿書類等の備付けがなく、実額に基づきこれらを計算することが不可能であったので、やむなく財産増減法を用いて推計により算定した所得金額に基づき本件甲処分を行ったものであり、推計の必要性があった。

財産増減法とは、各年の期首(一月一日)と期末(一二月三一日)の資産及び負債を比較し、その純資産(総資産の額から総負債の額を控除した残余の額をいう。以下同じ。)の増加額に当該各年中の生計費、公租公課等の消費金額を加算し、入金経路の明らかな給料、配当、不動産収入、預金利息等の各収入金額を減算して所得金額を推計する方法であって、推計の方法の一つとして一般にその合理性が承認されており、本件においては他に合理的な推計方法が存在しないから、被告が財産増減法により推計課税をしたことには合理性がある。

2 正久の本件係争各年分の所得金額

正久の本件係争各年分の所得の内訳は、いずれも雑所得と利子所得であるが、雑所得金額を財産増減法により推計し、利子所得については阪神相互銀行姫路支店(以下「阪神相互(姫路)」のようにいう。)において把握したいわゆるマル優扱いの仮名又は借名の定期預金及び積立預金の利息を実額に基づいて算出すれば、昭和五四年分の総所得金額は別表1の「被告の主張金額」欄のとおり六七七〇万七七六六円、昭和五五年分の総所得金額は別表2の「被告の主張金額」欄のとおり二億〇三四八万〇六一九円、昭和五六年分の総所得金額は別表3の「被告の主張金額」欄記載のとおり四四一五万九七〇一円である。

なお、右各別表のうち主たる科目の内訳は、次のとおりである。

普通預金の内訳は別表4、定期預金の内訳は別表5-1ないし5-3、通知預金(但し、昭和五四年分のみ。)の内訳は別表9、積立預金(但し、昭和五四年分のみ。)の内訳は別表10のとおりである。

未収利息(但し、昭和五四年分期末残高、昭和五五年分期首残高)については、別表5-2の長谷川俊三名義の定期預金(記号番号六二二二四〇)が昭和五四年一〇月一四日に満期となったが、そのまま定期預金として継続されていたため、昭和五四年分期末に右定期預金の満期に係る受取利息が計上されていなかったので、これを未収利息として計上した。その計算式は、次のとおりである。

二五〇万円(元本額)×四・五パーセント(利率)=一一万二五〇〇円(受取利息)

一一万二五〇〇円×三五パーセント(源泉税率)=三万九三七五円(源泉税額)

一一万二五〇〇円-三万九三七五円=七万三一二五円(未収利息)

貸付金の内訳は別表6の「被告主張」欄に記載のとおりである。

事業主貸の内訳は別表7のとおりであって、このうち争いのある未払税金の算定方法は別表8-1、8-2のとおりである。これら金額は、〈a〉定期預金及び積立預金に係る受取利息について仮名又は借名により少額貯金の非課税申告書(マル優)を提出していたため追徴されるべき源泉所得税、及び〈b〉定期預金に係る受取利息について借名による総合課税扱いを選択していたため、追徴されるべき源泉所得税の額を合算した金額である。なお、未払税金の算定方法は受取利息に三五パーセントの源泉税率を乗じた金額である。未払税金を事業主貸勘定に加算する理由は、本件では未払税金を負債として計上しているため、その金額は雑所得の金額を算定する上で減算されることになるが、未払税金は、雑所得の金額を計算する上で必要経費に算入すべきものでないため、負債として計上された未払税金に見合う金額を資産に計上することによって雑所得金額の計算に影響を与えないようにするためである。

事業主借については、正久に帰属する各種預金に係る受取利息の手取額は、雑所得の金額計算上、収入金額に算入すべきものではない。そこで、資産として各種預金残高に含めて計上されている受取利息に見合う金額を、事業主借勘定という科目で表現して負債に計上し、雑所得の金額計算上影響を与えないようにしたものであるが、その金額は、別表4の各普通預金、別表5-1ないし5-3の各定期預金、別表9の各通知預金及び別表10の各積立預金の各受取利息の合計金額である。

利子所得は、阪神相互(姫路)において把握したマル優扱いの仮名又は借名の定期預金及び積立預金の利息であって、その額の内訳は別表5-1ないし5-3及び10の「受取利息」欄のとおりである。普通預金及び通知預金の各受取利息(確定申告をしないことを選択できるもの)並びに定期預金で源泉分離課税(別表5-1ないし5-3の区分欄で、分離と表示したもの)を選択した受取利息(確定申告を要しないもの)については、利子所得に算入していない。なお、別表5-1ないし5-3及び10記載の各口座のうちには受取利息と利子所得の金額が食い違うものがあるが、その理由は、〈a〉別表5-2の長谷川俊三名義の定期預金については、昭和五四年中に満期を迎えていたが、定期預金証書で確認できなかったため、昭和五四年分については利子所得のみを計上し、昭和五五年分は満期日以降の利息を利子所得に計上し、〈b〉別表10の貝崎忠美(記号番号〇〇七一)名義については、利子所得は、昭和五三年分に該当する利息があったため、受取利息からその金額を控除した金額を昭和五四年分に計上し、〈c〉別表5-2の西昭好名義の定期預金については、受取利息と利子所得の差額は、定期預金満期後に発生した利息で、確定申告を選択しないことができる利息であるため、昭和五五年度の利子所得に計上しなかった。また、昭和五六年分については、別表5-2の貝崎忠美(記号番号六三一一八三)名義の定期預金については、総合課税のため手取額(源泉所得税額)を計上し、利子所得は、受取利息の一七万五〇〇〇円を〇・八で割り戻した金額を計上した。

3 昭和五四年分期首現金有高について

別表1の〈1〉の現金有高は、本来現金の出納を記録した帳簿等に基づき認定すべきものであるが、正久に対する査察調査においては、その収入金額を把握できるような帳簿又は関係書類をはじめ、現金の出納を記録した帳簿等は一切発見できなかった上、昭和五三年一二月二一日に警察官らが正久の居宅兼組事務所を捜索した際、現金についても念入りに捜索したにもかかわらず、同所から現金は一切発見されなかったのであり、その後同年末までに、正久の阪神相互(姫路)の古谷宏一名義の普通預金から一〇〇万円、中国(姫路)の中村利明名義の普通預金から七〇〇万円がそれぞれ出金されており、ほかに、同年中に正久に現金収入があった事実はないから、現金有高は右の八〇〇万円を超えないものと推計することは合理的である。

4 預金の帰属について

原告正は、別表4の普通預金、別表5-1ないし5-3の定期預金、別表9の通知預金、別表10の積立預金のうち、無印の預金が正久に帰属することを認めながら、◆印と◇印を付した預金については正久に帰属することを否定し、これが前記2の各科目のうち、普通預金、定期預金、未収利息、事業主貸、未払税金、事業主借についての双方の主張の食い違いとなって具体化している。

しかし、原告正が竹中組々員の積立金であるとして正久の預金であることを否定する◆印を付した預金は、竹中組の会計担当者萩原公明(以下「萩原」という。)が管理していたもの(一部は内妻の中山きよみが管理に関与している)であって、同組の維持、管理、運営等のための資金であり、かつ、同組は、組長である正久の意思によりその絶対的権限の下で維持、管理、運営されていて、権利能力なき社団又は民法上の組合には当たらないから、特段の事情のない本件では、これら預金も正久個人に帰属するものというほかないものである。

仮に、右が原告正主張のとおり、多数の組員が拠出積立したものであったとしても、積立金の総額に対して持分を有する者や持分額を確定する方途が講じられたものでもなく、一般的な意味での組員の共同財産としての積立金ではないことは明らかである。

また、別表4の普通預金及び別表5-3の定期預金のうち、原告正が中山きよみ(以下「中山」という。)の財産であるとして正久の預金であることを否定する◇印を付したものも正久の預金である。右七口の預金は、いずれも中山の肉親の実名が用いられているが、中山は昭和四二、三年以降、家事に専念し無職無収入の身であるし、但馬(姫路)の中山達郎名義、中村虎次名義の各定期預金証書は正久が保管し、後者については、正久の他の預金と同一の印鑑が使用されているなどしているものである。

5 借入金及び仮受金について

本件では、正久の所得金額を算出するため財産増減法によりこれを推計するほかなかったところ、各期末、期首の資産・負債のすべてを課税庁において把握することは著しく困難であり、他方納税者において、その存在を立証することが極めて容易であるから、課税庁が財産増減法により所得を算定した場合において、課税庁の認定しなかった期末における借入金、仮受金の存在など所得計算上の控除項目となる事由については、納税者がその立証責任を負担するものと解すべきである。しかるに、原告正が主張する借入金及び仮受金が存在したものとはとうてい認められないが、次のとおり付言する。

まず、本件に関連する刑事事件である神戸地方裁判所昭和五七年(わ)第七八四号所得税法違反被告事件(正久の死亡により公訴棄却)において、正久は、借入金及び竹中武(以下「武」という。)に対する貸付金はない旨述べていたところであり、武も同様の供述をしていたのに、本件課税処分に対する異議申立ての段階で、卒然と右借入金の存在を主張し始めたものである。前言を翻して後の武の供述内容も、正久からの借入をするに当たり、資金を投じる事業について真剣に検討した形跡もないし、借入金をそのまま事業資金に投じず他に流用したりしたというのであり、不自然極まりないし、これを肯定する関係者の供述には整合性がなくとうてい信用できない。また、いうところの借用書(乙一八の一、二)も、債務者である正久が直接関与せずに作成されたということ自体不自然であるし、その作成時期も、収入印紙がその当時施行されていた印紙税法所定の金額のものに合致しないなどの矛盾があり、結局、借入金が存在するとの主張は、所得税の軽減を図るための虚偽の主張というべきである。

よって、右借入金の存在を前提とする仮受金も存在しない。

6 貸付金について

原告正は、正久には、橋本四郎に対する貸付金のほか、別表6の「原告主張」欄のとおりの貸付金が存在したと主張する。しかし、武に対する一億円の貸付金が存在しないことについては既に述べたところであるが、そのほかの貸付金の存在が、被告のなした財産増減法による正久の所得金額の算定に影響を及ぼすというためには、そのような貸付金が存在したことのみならず、本件係争各年分中にその返済がなされ、かつ、その返済金が、被告が正久個人に帰属すると主張する資産に含まれていることが認められることを要する。そして、期首における貸付金等の存在の事実は、財産増減法による所得計算上の控除項目であって、課税庁においてこれをすべて把握することが困難であり、他方納税者においてこれを立証することが容易であることは右5において述べたのと同様であるから、その立証責任は納税者である原告正にあると解するのが相当である。

しかるに、右のような貸付金の存在を述べる正久の供述、借主と主張する細田ほか九名の捜査段階での供述を翻す刑事公判廷における各供述は、それ自体が多くの矛盾を含むもので信用性を欠き、貸付金の存在は否定されるべきである。

仮に、右のような貸付金が存在したとしても、その返済が本件係争年度であるとも、原告正主張の預金口座に入金されたともいえないから、いずれにせよ、右原告の主張は理由がないというべきである。

7 本件課税処分の適法性

(一) 本件甲決定処分について

正久の本件係争各年分の雑所得及び利子所得の金額は右2のとおりであり、これらと同額をもってなされた本件甲決定処分はいずれも適法である。

(二) 本件重加算税の賦課決定処分の適法性について

正久は、本件係争各年を通じ、野球賭博等により得た多額の収入金を、阪神相互(姫路)等において仮名又は借名の預金口座に入金するなどして隠ぺい、仮装し、本件係争各年分の所得税額がないものとして所得税の確定申告書を提出しなかったものである。

また、これらの預金から生じる利息(被告が利子所得として認定したもの)については、源泉分離選択課税の選択申告書(三五パーセントの税率による源泉徴収で、確定申告書は不要)が提出されていないから、預金利息の受け取りの際に二〇パーセントの税率で源泉徴収を行ったのち、他の所得と総合して確定申告をしなければならないところ、正久は、これらの預金口座に仮名又は借名を使用して各名義の預金額を三〇〇万円以下に分散することにより、自己に帰属する利息の存在を隠ぺい、仮装し、これに基づき、仮名又は借名の各名義で非課税貯蓄申告書を提出して、不正に少額貯蓄の非課税制度(預金額三〇〇万円の限度で非課税)の適用を受け、右源泉徴収を免れるとともに、確定申告書も提出しなかったものである。

正久の右行為は、国税通則法(以下「通則法」という。)六八条二項の重加算税の賦課要件に該当するから、本件重加算税の賦課決定処分は適法である。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1のうち、正久が竹中組の組長であったこと、被告が本件係争各年分の雑所得を財産増減法により推計したことは認めるが、その余の事実は知らない。

2 同2に対する認否は別表1ないし3、6、7の原告正の主張金額欄のとおりであるが、次のとおり補足する。

別表1ないし3の「被告の主張金額」欄のうち、通知預金、積立預金、前渡金(いずれも昭和五四年分)、建物、車輛、土地、出資金(いずれも本件係争各年分)の存在及び額は認める。

しかし、別表1ないし3のその余の科目については、「原告の主張金額」欄の期首高を下回る部分、期末高を上回る部分は否認する。被告主張額と原告正主張額の差異は、主として、昭和五四年分期首現金有高、預金の帰属、借入金、仮受金、貸付金について主張の食い違いから生じているものである。

3 同3は否認する。正久の昭和五四年分期首の現金有高は三〇〇〇万円を上回る。

すなわち、正久は、昭和五三年中だけでも、阪神相互(姫路)において、三月六日に林孝信名義(解約金額五〇〇万円、以下同じ。)、三月二二日に山本伸二名義(五〇〇万円)、同日に林孝信名義(四〇〇万円)、三月三一日に沢田源市名義(五〇〇万円)、四月三日に山下敬名義(一〇〇〇万円)、八月三〇日に林孝信名義(一八一万七〇〇〇円)、一二月一二日に中村昭二名義(二九五万円)の普通、通知預金を解約しているのであり、それだけでも三三七六万七〇〇〇円に上り、これに被告主張の金額を加えると解約金は優に五〇〇〇万円を超えるものである。そして、正久が同年度中にこのような多額の現金を費消することは考えられないから、少なくとも三〇〇〇万円を上回る現金が残されていたと見るのが相当である。被告は、昭和五三年一二月二一日の捜索に際して現金が発見されなかったことを理由にこれを否定するが、現金はいかようにでも所持できるのであり、被告の昭和五四年分期首における現金有高の認定が不合理であることは否めない。

ちなみに、推計課税が合理的というためには、推計の基礎事実が確実に把握されていることが絶対要件となる。ことに、資産増減法による推計の基礎事実のもっとも基本的なものは、出発時点における当初(期首)財産であるところ、本件甲処分においては、約二〇年間竹中組組長の地位にあった正久の、右記の間に蓄積した昭和五四年分期首財産がわずかに一億四〇〇〇万円程度と算定されているのに、昭和五五年度の一年間のみで約二億円も財産が増加するという極めて不合理な数値になって現れている。これを見ても、被告による昭和五四年分期首財産の認定に合理性を欠くことは明らかである。

4 同4も否認する。

原告正も、別表4の普通預金、別表5-1ないし5-3の定期預金のうち無印の預金、別表9の通知預金、別表10の積立預金が正久に帰属することは争わない。

しかし、別表4、5の1ないし5の3の◆印を付したものは竹中組の構成員が、将来の不意の出費に備える目的で資金を拠出し合って積立てたもので、正久個人の資産と区別されるべきものである。竹中組も合議機関を有して種々の社会、経済活動を行う実存の組織である以上、これに要するすべての資金を正久が負担するものではない。竹中組では、組織の持つ性質、活動形態から必然的に予測される抗争や刑事司法権の発動を受けた際の不意の出費に備える目的で、昭和五〇年以前から積立金制度を設け、原則として毎月五日の総会の席で集められ、それをそのまま会計責任者が管理し、一定額に達する都度定期預金等に組み替えられた。それが◆印を付したものであって、右は当然正久個人の財産と区別された組員の財産である。

また、別表5の3の◇印を付した預金は、正久の内妻である中山の固有資産であって正久に帰属するものではない。これら預金の名義人である中山達郎は中山の実子、虎次は実父、勲は実兄であって、竹中組とは何の関係も有しないから、中山が正久の預金を管理するに際し、肉親の名義を使用する必要などまったくなかったものである。正久の預金は、主として阪神相互(姫路、宝殿)、中国(姫路)に預金されて保管されているのに、◇印を付された預金のみが播州信金(北)、但馬(姫路)に預金されていることや、播州信金分は、そこに勤務する中山の姪に頼まれて中山が預金をした経過からも同女の預金であることは明白である。およそ、中山は、正久と知りあったころはスタンドを経営し、昭和四〇年ころには中山金融株式会社という商号で金融業を営み、相当膨大な財産を管理運用していた者であって、相応の資産を有するのが自然であり、前記預金は中山の固有資産である。

したがって、被告主張の未収利息、事業主貸、未払税金、事業主借のうち、原告正主張の金額を超える部分は、◆、◇印を付した正久の預金でないものを正久に帰属すると誤って認定したもので、これを前提に所得金額を認定した本件甲処分は違法である。

5 同5も否認する。

正久は、実弟である武の事業資金を工面するため、昭和五〇年三月一五日、同五一年五月一〇日の二度にわたり、乙一八の一、二のとおり、牧野繁實からそれぞれ五〇〇〇万円(合計一億円)を借り入れ、これを武に貸与したが、牧野から右貸金の管理を委ねられていた笹部静雄、正久の相次ぐ服役により、正久から牧野に対する返済ができなかった。そこで、正久は、自身が服役する前日である昭和五三年四月六日、武に対し別途銀行口座を開設して牧野に対する返済資金を蓄えておくように指示した。その結果、翌七日に開設された預金口座が別表4の中国(姫路)の中村利明名義の普通預金口座、昭和五五年五月一二日に開設された預金口座が中村勝名義の普通預金口座である。そして、武は、牧野に対する返済資金として、昭和五五年分期末現在において七〇〇〇万円、昭和五六年九月一〇日までに一億円を右各口座に入金しているが、それは正久の負債勘定となる仮受金である。

6 同6も否認する。

正久は、被告の主張する橋本四郎に対する一〇〇〇万円の貸付金のほか、右5のとおり実弟である武に一億円を貸し付けたのをはじめとして、別表6の「原告主張」欄のとおり、大西康雄に一五〇〇万円、嵐義明に一〇〇〇万円、小山秀夫に五〇〇〇万円、細田利明に一〇〇〇万円、加茂田重政に一二〇〇万円、青木広海に一〇〇〇万円、吉田勇に三〇〇〇万円、大沢国博に一〇〇〇万円、寺田晴美に一〇〇〇万円を貸し付けており、以上の合計額は二億六七〇〇万円である。

7 同7は争う。

(乙事件関係)

一  請求原因

1 正久は昭和六〇年一月二七日死亡し、原告らは正久の弟姉妹であるところ、正久には直系卑属、配偶者ともいなかったため、原告らが共同相続人として遺産を相続した。

2 原告らは、本件相続につき昭和六三年七月一日別紙三の期限後申告欄記載のとおり相続税の申告をしたが、被告は、平成二年六月二〇日別紙二のとおりの更正処分(以下「本件更正処分」という。)、無申告加算税及び重加算税賦課決定処分(以上「本件乙決定処分」といい、本件更正処分と併せて「本件乙処分」ともいう。)をした。

3 本件乙処分については、原告らは、別紙三、四の異議申立て、審査請求欄記載のとおりの不服申立て手続を経由した。

4 しかしながら、本件乙処分は、相続財産の額を誤った違法なものであるから、原告らは、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3は認めるが、4は争う。

三  抗弁(本件乙処分の適法性)

1 相続税額の計算

(一) 相続財産の総額 九五八四万九四三二円

(1) 不動産 九二一八万七四三二円

本件相続財産のうち不動産の明細及びその価格は、別表11の被告主張額欄記載のとおりであり、その合計額は九二一八万七四三二円である。

(2) 動産 三六六万二〇〇〇円

本件相続に係る動産の明細及びその価格は、別表12の被告主張額欄記載のとおりであり、その合計額は三六六万二〇〇〇円である。

(二) 債務の額 一七二九万〇四七一円

本件相続に係る債務の明細及びその価格は、別表13の被告主張額欄記載のとおりであり、その合計額は一七二九万〇四七一円である。

(三) 課税価額

(1) 取得財産の価額

本件相続財産のうち別表11の順号1の宅地は、昭和六二年八月一七日付け遺産分割協議により、原告武が取得したが、そのほかの財産については遺産分割協議がなされていない。そこで、右宅地を除く相続財産については、原告らがそれぞれの法定相続分(各七分の一)の割合に従って取得したものとし(相続税法(昭和六三年法律第一〇九号による改正前のもの。以下単に「法」という。)五五条)、原告武については、そのほかに右宅地を取得しているものとして、原告らが本件相続により取得した財産(取得財産)の価額を計算すると、別表14の〈1〉「取得財産の価額」欄記載のとおりとなる。

(2) 課税価額

前記(二)の債務についても、原告らがそれぞれ七分の一を負担するものとして、原告ら各自の取得財産からこれを控除して原告ら各自の課税価額を計算すると、別表14の〈3〉「課税価額」欄の「被告主張額」欄記載のとおりとなり、その合計額は七八五五万五〇〇〇円となる。

(四) 相続税額の総額

法一六条によれば、相続税の総額は、同一の被相続人から相続又は遺贈により財産を取得したすべての者に係る相続税の課税価格に相当する金額の合計額から、その遺産に係る基礎控除額を控除した金額を当該被相続人の相続人が民法九〇〇条及び九〇一条の規定による相続分に応じて取得したものとした場合におけるその各取得金額につきそれぞれその金額を法一六条に掲げる表の上欄に掲げる金額に区分してそれぞれの金額に同表の下欄に掲げる率を乗じて計算した金額を合計した金額とすることとされている。これを本件に適用すると、相続税の総額は次のとおり三八八万三二〇〇円となる。

(1) 遺産に係る基礎控除額

法一五条によれば、当該被相続人の相続人が七名の場合の遺産に係る基礎控除額は、次の算式で計算されるとおり、四八〇〇万円である。

二〇〇〇万円+四〇〇万円×七=四八〇〇万円

(2) 相続税の総額

まず、前記(三)の課税価額の合計額から右(1)の遺産に係る基礎控除額を控除した金額を求めると、三〇五五万五〇〇〇円である。

次に、原告らの民法九〇〇条及び九〇一条の規定による相続分はそれぞれ七分の一ずつであるから、右金額を七で除して計算した金額四三六万五〇〇〇円を、法一六条の表の上欄に掲げる金額に区分してそれぞれの同表の下欄に掲げる率を乗じて計算した金額は五五万四七五〇円となり、これを合計した相続税の総額は三八八万三二〇〇円(百円未満切り捨て)となる。

(五) 原告らの納付すべき税額

(1) 各相続人らの相続税額

法一七条によれば、相続又は遺贈により財産を取得した者に係る相続税額は、その被相続人から相続又は遺贈により財産を取得したすべての者に係る相続税の総額(三八八万三二〇〇円)に、それぞれこれらの事由により財産を取得した者に係る相続税の課税価額が当該財産を取得したすべての者に係る課税価額の合計額(七八五五万五〇〇〇円)の内に占める割合を乗じて算出した金額である。

そうすると、原告らのうち原告武を除く者の相続税額は、次のとおり、それぞれ四七万〇九四七円となる。

計算式 三八八万三二〇〇円×(九五二万七〇〇〇円÷七八五五万五〇〇〇円)=四七万〇九四七円

また、原告武の相続税額は、次のとおり、一〇五万七五一七円となる。

計算式 三八八万三二〇〇円×(二一三九万三〇〇〇円÷七八五五万五〇〇〇円)=一〇五万七五一七円

(2) 納付すべき税額

法一八条によれば、被相続人の一親等の血族及び配偶者以外の者である原告らに係る相続税額は、右(1)の原告らの各相続税額にその一〇〇分の二〇に相当する金額を加算した金額が納付すべき相続税額となる。

そうすると、原告らのうち原告武を除く者の納付すべき相続税額は、それぞれ五六万五一〇〇円となる。

また、原告武の納付すべき税額は、一二六万九〇〇〇円となる。

2 本件乙決定処分の適法性

(一) 無申告加算税の賦課決定処分の適法性

原告らは、正久に係る相続税の申告書を法定申告期限(昭和六〇年七月二七日)内に提出しておらず、また、法定申告期限後の昭和六三年七月一日に「相続税の申告書」を提出した後に本件各更正処分がされていることから通則法六六条二項に該当する。したがって、原告らのうち原告武を除く者に対し、同条により無申告加算税を賦課した本件賦課決定処分は適法である。

(二) 重加算税の賦課決定処分の適法性

原告武は、架空の借用書を作成し、正久が牧野繁實に対し一億円の債務を負担していたかのように仮装し、その仮装したところに基づき、法定申告期限後に「相続税の申告書」を提出していたものであり、これは通則法六八条二項の重加算税の賦課要件に該当するから、原告武に対する重加算税の賦課決定は適法である。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の(一)(相続財産の総額)は認めるが、その余の抗弁事実は否認又は争う。正久が牧野繁實に一億円の債務を負担していたことは甲事件において原告正が主張するとおりであり、原告らは右甲事件における原告正の主張を援用するものである。したがって、相続税額の算定に当たり相続債務の額を正当に把握しない本件各更正処分は違法であり、これに基づく本件乙決定処分も違法である。

第三証拠

本件訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

以下に掲記する証拠説明において、「捜査段階」における供述、「公判段階」における供述とは、正久を被告人として、昭和五七年九月一六日に起訴された所得税法違反被告事件(神戸地方裁判所昭和五七年(わ)第七八四号事件)におけるそれをいうものである。

[甲事件関係]

一  請求原因1ないし3の事実並びに抗弁1の事実中、正久が竹中組の組長であったこと、被告が本件係争各年分の雑所得を財産増減法により推計したことは、当事者間に争いがない。

二  推計課税の必要性及び推計の方法について

甲四ないし六、乙五によれば、正久は、本件甲処分当時、姫路市十二所前町に本拠を置く暴力団竹中組の組長として末端(枝)の組員を含め約七〇〇名の配下を擁する者で、かつ、広域暴力団山口組若頭の地位にあったが、本件係争各年分について所得税の確定申告をしていなかったこと、兵庫県警察本部刑事部暴力対策二課(以下「本部二課」ともいう。)は、正久を含む竹中組の収入源及び資産状況を捜査した結果、正久は、正業こそ有しないものの、野球賭博、本引賭博などの開帳及びノミ行為等により多額の収入を得ていたとの疑いを強め、昭和五六年一二月一五日、大阪国税局長に対して、同人の課税措置を求める通報をしたこと、これを受けた大阪国税局査察部は、昭和五七年三月一八日に強制調査を開始したが、正久には帳簿書類等の資料の備え付けがなく実額課税ができないため、推計により課税標準を認定して本件甲処分をしたこと、以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、正久には、直接課税標準を認定できる資料が存在しなかったのであるから、その財産や債務の増減状況等の間接資料を用いて課税標準を認定する必要性、すなわち、所得税法一五六条による推計課税の必要性があったというべきである。

ところで、推計方法の一つである財産増減法は、課税期間内における納税者の資産・負債の増減を比較することにより納税者の純資産の増加額を捕捉し、それに納税者が負担した生計費や諸税などの額を加算して所得額を推計する方法であるが、本件においては、正久に正業がなく、売上及び仕入金額を基礎とする同業者比率法をはじめ他の推計の方法によることが困難であるから、被告が、別表1ないし3のような財産増減法、すなわち、本件係争各年度における期末純資産から期首純資産(いずれも資産から負債を控除したもの。)を控除して雑所得を推計したことは、正久の所得額を捕捉するための現実的かつ合理的な方法として、許容されるというべきである。

三  そこで、被告がした推計に誤りがあるか否かについて判断する。

1  被告の主張する本件係争各年分における正久の所得は雑所得と利子所得であり、その算定の基礎科目及び金額と主張するところは別表1ないし3の「被告の主張金額」欄のとおりであるが、右のうち、昭和五四年分における通知預金、積立預金、前渡金、並びに本件係争各年分を通じて建物、車輛、土地、出資金の金額の存在及びその額、さらにこれらが正久に帰属することについては、当事者間に争いがない。

2  期首現金有高について

(一) 別表1ないし3の現金有高については、別表1の期首現金有高を除く金額については当事者間に争いがない。

(二) そこで、まず、別表1の期首における現金有高につき検討するに、甲七、一〇二ないし一〇六、二二七によれば、本部二課及び姫路警察署は、昭和五三年一二月二一日、原告正(竹中組副組長)に対する強要被疑事件の捜査のため、福本昭雄係長を指揮官とする警察官一八名により竹中組事務所兼正久の自宅(以下「竹中組事務所」、又は単に「事務所」という。)を捜索したこと、同係長は、この当時、正久に対する賭博容疑も浮かんでいたため、現金の発見にも留意し、捜査官を指示して同事務所の一階から三階までくまなく捜索したが、現金はまったく発見されなかったこと、その後、昭和五三年一二月二五日、阪神相互(姫路)の正久の普通預金(古谷宏一名義)から一〇〇万円、同月二九日、中国(姫路)の正久の普通預金(中村利明名義)から七〇〇万円、合計八〇〇万円が出金された事実を認めることができる。

もっとも、甲一五、二五及び弁論の全趣旨によれば、原告正主張のとおり、昭和五三年中に、阪神相互(姫路)において、林孝信名義、山本伸二名義、沢田源市名義、山下敬名義、中村昭二名義の普通、通知預金(合計四三七六万七〇〇〇円)が解約されていること、右の各預金は、後記のとおり、阪神相互(姫路)の行員として、正久の仮名、借名預金のほとんどを扱っていた中村まゆみ(以下「中村」という。)の取り扱いによるもので、正久に帰属するものであることが認められるが、甲二九三と弁論の全趣旨によれば、正久の唯一の生活の本拠は事務所のほかになく、正久も、現金を保管する場合は、すべて事務所二階(自宅)の押入と箪笥の引出しを抜いた底に保管するのを常としていたこと、後記のとおり、正久はかなり大規模な野球賭博の胴元をし、場合により多額の賭金の払い戻しにも応じていたことが認められる。そうとすれば、仮に、右のとおり解約した預金が正久のものであったとしても、それは右年度中になんらかの形で費消したものと推認するほかなく、この推認を覆すに足る具体的な証拠は存しない。

(三) 右のとおり、昭和五三年一二月時点において、正久の所持する現金は八〇〇万円にすぎないから、昭和五四年度期首における現金有高は八〇〇万円と認定するのが相当である。

3  預金について

(一) 被告が正久に帰属する仮名又は借名による預金であると主張する別表4の普通預金一八口のうち名義欄が無印の一四口の普通預金、別表5-1ないし3の定期預金六五口のうち名義欄が無印の三〇口の定期預金、別表9の通知預金、別表10の積立預金が、仮名ないし借名(但し、一部無記名預金を含む。)による正久の預金であって、同人に帰属することは当事者間に争いがない。

(二) 問題は、普通預金、定期預金のうち、後記のとおり竹中組員である萩原が預金に関わったとされる◆印を付した預金、正久の内妻中山が身内の名義を借用した◇印を付した預金(なお、甲八、一〇、一二の一、一三ないし一五、二四ないし二七によれば、右各表記載の銀行には、◆印、◇印を付した名義、記号で、昭和五三年ないし昭和五六年分の期末現在残高として各表記載の金額の普通預金並びに定期預金が存在することが認められる。)が正久に帰属するか否かであって、この点の争いが、別表1ないし3の各科目のうち、普通預金、定期預金、未収利息、事業主貸、未払税金、事業主借の金額についての原、被告の主張の相違点になって現われている。

(三) そこで、右各預金の帰属につき判断を進める。

(1) 甲八、二八ないし五二、一二一ないし一二四、二〇九ないし二二六、乙三、五によれば、次の事実が認められる。

〈1〉 正久は、昭和三五年に竹中組を興し、翌昭和三六年に三代目山口組の直系若衆になったが、竹中組としてはもとより正久個人も正業を有しなかった。また、昭和三六年六月ころから正久と内縁関係にあり、組員から「姉さん」と呼ばれる立場にあった中山も、正久と同棲を始めて間もなくスタンドの経営を辞め、昭和四一年夏ころから、竹中組事務所を営業の本拠とする中山金融株式会社を設立したが、正久の指示に従い一、二年後に廃業してからは無職であった。

ちなみに、竹中組では、毎月開催される組総会の席上、組員から会費を徴収していたが(舎弟、副組長クラス、若頭、同補佐クラス、直参クラスにより会費にもランク付けがされ、月額では一三〇万円程度に上っていた。)、これは組の義理掛け及び事務所の経費に充てられていた。

〈2〉 阪神相互(姫路)の行員である中村は、中山の姪であって、昭和四三年三月、同支店に入行して窓口業務を担当していた者であるが、昭和五一年ころ、中山から、正久の信頼を得て竹中組の会計担当者の地位にあった萩原を紹介されたのを機に、中山、萩原の両名の阪神相互における仮名又は借名による預金手続、解約手続の受け入れを一手に引き受けるようになった。例えば、中村は、中山から仮名による預金を頼まれたときは、中山の持参した印章の名前に合わせ、友人、知人の名前や住所にヒントを得て自ら仮名による預金手続をしていた。

別表4の普通預金、別表5-1ないし5-3の定期預金、別表9の通知預金、別表10の積立預金のうち阪神相互(姫路、宝殿)の預金は、このようにして中村を窓口として中山ないし萩原により開設された預金口座であって、一女子行員の受け入れる預金としては多額に過ぎたが、同支店幹部もこれら預金口座が竹中組関連の預金と認識して「中村扱いの預金」と称し、後難を恐れて深く詮索しなかった。

〈3〉 ところで、正久は、前記のとおり正業というものを有していなかったが、実際には、野球賭博等を資金源としており、例えば、野球賭博の場合、傘下にある岡山竹中組の原告武、正久、中山の三名がハンディーを決定し、竹中組組員や他組関係者など約二〇名の中間胴を介するなどして張り客を募り、毎週木曜、日曜日に勝敗の清算をし(損益の分配割合は、正久七、原告武三の割合であった。)、その各翌日(金曜日、月曜日)に張り客から賭金を集金し、原告武が集金をする分は、後日、中国(小橋)の同人の松原一郎、松村二郎などの仮名、借名預金口座に振り込んでもらい、このようにして原告武が集金した賭金は、その都度、予め決められた分配割合で中国(小橋)等の前記の原告武の仮名又は借名預金口座から正久の仮名又は借名預金に入金したり、原告武の指示を受けた岡山竹中組組員が、直接正久ないし中山に現金又は小切手で支払っていた(時には、札束を段ボール箱に入れて運んだこともあった。)。

一方、正久は、萩原ら組員を胴元ないし中間胴として競馬のノミ行為をして資金を稼いでいた(この点は、例えば、甲二一七、二二〇、二二一によれば、竹中組員である萩原、長谷川俊三、中井実らを胴元とする競馬のノミ行為に賭けた賭客の約束手形、小切手が、正久の預金口座であることに争いがない別表4の古谷宏一名義の普通預金口座を経由して取立に回されている事実が認められ、萩原を胴元とするノミ行為も、実質は正久の主宰するものであることが裏付けられる。)。

〈4〉 ところで、◆印を付した普通預金三口のうち、萩原名義の預金は萩原が開設し、西田豊名義の預金も、萩原が一時病気をしたときに会計を担当した組員西田豊の名義を借用して、萩原が開設したものである。右二口の普通預金口座には、毎月多数回にわたり多額の金額が、しかも、ときには一か月に数百万円もの入金がされていて、その中には、萩原が胴元になった野球賭博、競馬のノミ行為で得た賭金が入金され、中国銀行(小橋)の原告武の仮名預金である松原一郎名義の普通預金口座からも振込入金されている。

萩原は、正久と相談の上、昭和五二年から同五五年までの間、同預金口座から出金した金員をもって、◆印を付した定期預金のうち、田中初男名義、吉沢伸二名義、長谷川俊三名義、西昭好名義、萩原公明名義を除く定期預金二四口をし、田中初男、吉沢伸二、萩原公明各名義の定期預金も、中村が萩原から依頼されてした定期預金である。これらの定期預金は、萩原が実在の組員の名前を借名したものであるが、定期預金証書は萩原が保管するところではなかった(しかし、少なくとも、中井実、吉沢伸二、長谷川俊三名義の定期預金は、その後、届出印を喪失したとして、中山が保証人となって改印手続がとられている。)。

◆印を付した残り一口の普通預金である林賢次(元竹中組組員)名義の普通預金口座は、中村が、正久、中山の意向を忖度し、◆印を付した定期預金の利息を入金するため昭和五六年三月一〇日に勝手に開設した口座である(実際にも、右口座には、阪神相互(姫路)の◆印を付した一〇名の借名名義の定期預金利息が入金されている。)が、この点については後に中山の承諾を得、その後の入出金には、萩原のみならず三村和幸組員も関与するようになった。

〈5〉 さらに、大阪国税局査察部の強制調査や脱税容疑の捜査が始まった昭和五七年三月ころには、正久、中山の両名が、中村に対し、前記仮名ないし借名による預金につき、その実態を明かさないよう口止めをしている。

(2) 右認定事実によれば、◇印、◆印を付した預金のいずれも、正久が野球賭博などで得た収入を預金していたもので、かつ、中山、萩原らを通じて正久により支配、管理が行われていたものと解するのが相当であるから、右各預金も正久に帰属するものといわねばならない。

(3) 原告正は、前記のとおり、別表各預金のうち、無印の預金が正久に帰属する仮名、借名による預金であることを認めているが、◆印を付した預金は、竹中組会計担当者である萩原が預金手続をしていることから、これらは、組員が拠出した積立金を萩原が保管するため預金していたもので各組員に帰属することはあっても正久に帰属しない旨主張し、甲二五三ないし二六一によれば、萩原も「組の積立金は月額七〇万円から一〇〇万円に上り、すでに積立済の分を別表4の萩原名義、次いで林名義の普通預金口座に入金し、一定額が集まる都度、正久と相談して◆印を付した借名による定期預金に切り替えてきた。」旨を述べている。

さらに、甲一〇八、二五〇ないし二五二、二五五、二五八、二六〇、二六二、二六三、二六七、二六九、二七〇、二七三、二七四、二七九ないし二八一、二八三、二九六、三〇五の一、三一七によれば、竹中組組員の中には、「竹中組では、組の総会の席上、会費のほか、別途、組員が余裕のある都度、任意に積立金を拠出していた。」旨、右主張に副う供述をする者がある。

しかしながら、組員が毎月会費を負担するほか、任意に組員の毎月の経済状況に応じて拠出する積立金というものを観念することは困難である。けだし、これら供述によれば、積立金を拠出する回数、拠出金額は組員の地位にかかわらずまったく任意に委ねられているというのであるが、およそ組織維持のための資金がそのような任意拠出制度に裏打ちされること自体不自然で(かくては、もっとも有力な幹部が一円も拠出しないで、平組員が多額の拠出する月も当然予想され、そのような制度が恒常的に機能するものとして存在するはずがない。)、そのような制度は考え難いからである。そして、もし、右のような積立金制度が設けられていたとすれば、それは、会費に加えて組員に多大の経済的負担を課するものであって、その制度の存否について組員間に認識に食い違いなどあろうはずがないが、甲一二一、二二七、二二九、二三一、二七五、二七八、二八二によれば、竹中組幹部を含む組員の中には、右のような制度の存在を否定する供述をしているものが多数存在するばかりか、積立金制度の存在に言及する前掲各証拠相互間においても、積立金の趣旨、管理方法、開始時期等の基幹部分に大きな食い違いがあって容易に信用できず、ましてや、◆印を付した預金がこれらを原資とするものとはとうてい認め難い。

それだけでなく、前記認定のとおり、もし、◆印を付した普通預金が、組員の定期の積立金によるものであるとすれば、毎月ほぼ組総会に近いころ、数十万円の入金がなされてしかるべきであるのに、右各普通預金に入金された一回当たりの入金額、入金回数は、積立金というにはほど遠い実態を露呈しているのであり、しかも、その中には、競馬のノミ行為により得た収入が入金されていて、原告正の主張に副う前記各供述部分はとうてい採用できない。

次いで、原告正は、◇印を付した預金は中山の固有資産であって、正久に帰属するものではないとも主張する。

しかし、中山に収入がなかったことや、中山が開設した多額の仮名又は借名の普通預金、定期預金、通知預金、積立預金が正久に帰属する預金であることは既述のとおりであるほか、甲一一、一二の一、一四、一五、三八、九九、二三八、二五四、三〇三と弁論の全趣旨によれば、これら預金の名義人は中山の子供など肉親の名義を借用したものであるところ、別表5-3の中村虎次名義の預金については、正久の預金である別表4の但馬(姫路)の中村利明名義の預金と同一の印鑑により預金がなされていること、別表5-3の但馬(姫路)の中村虎次、中山達郎名義の定期預金証書は正久が保管していたこと、これら預金はマル優を使用したものでないから、中山自身の預金であれば借名をする必要性がないこと、さらに、別表4の播州信金(北)の普通預金、別表5-3の但馬(姫路)の定期預金、播州信金(北)の各定期預金(いずれも◇印を付したもの。)は、その切り替え日が◆印を付した定期預金とほぼ同一であることなどの事実が認められ、これら事実からすれば、◇印を付した預金も◆印を付した預金と同様、正久に帰属するもので、中山はその肉親名義を借用して正久の預金を管理していたものと認定するのが相当であって、この点に関する原告正の主張も採用できない。

4  仮受金について

さらに、原告正は、別表4の中国(姫路)の中村利明名義、中村勝名義の普通預金は、後記のとおり、原告武が、正久の牧野に対する借入金を積み立てたものであるから、右の預金は負債勘定となる仮受金である旨主張するが、正久が牧野から一億円を借り入れた事実を認め難いことは後に判断するとおりであり、右主張は採用できない。

甲九、二七、八四、八六、九〇によると、昭和五三年四月七日に開設された中村利明名義の普通預金口座(番号一〇〇三七二九)は、同日から昭和五七年二月二〇日までの間、一三二回にわたり、一回当たり数十万円から数百万円、多いときは一回に二〇〇〇万円近い入金がなされているが、振込元の銀行のほとんどは中国(小橋、津山)であり、出金についてみても、振込先銀行のほとんどは中国(小橋)の原告武の仮名口座(松原一郎、中西一郎、西田一郎等)であること、これらの入出金は、正久、原告武が胴元になった野球賭博の賭金の集金日である月曜、水曜日に集中していること、右口座には中山が銀行窓口に来て多額の金員を頻繁に入金したこともある等の事実が認められるのであって(右中村利明名義の口座の届出住所、届出印は、原告正が正久に帰属することを認める阪神相互(姫路)の中村勝一名義の普通預金口座と同一である。)、これは、正久や原告武の弁解するような、牧野に対する借入金返済目的で、原告武が金員を積立保管するために管理していたものとはとうてい考え難い。むしろ、右は野球賭博の賭金の一部が岡山竹中組の原告武ないし中間胴から正久に還流し、あるいは正久と原告武間の清算のための口座であると考えるのが自然であり、この点は、昭和五五年五月一二日に開設された中村勝名義の普通預金(番号一〇二八八一一)についても同様(ことに、捜査の手が及んだ昭和五七年二月二〇日には、中山が一〇〇〇万円を出金している。)である。

5  別表1の〈6〉の未収利息について

別表5-2の長谷川俊三名義の阪神相互(姫路)の定期預金(記号六二二二四〇)が正久に帰属するものであることは右3において判断したとおりであるが、甲二二によれば、右預金は、昭和五四年一〇月一四日の満期後も継続されたため、同年の期末に満期による受取利息が計上されておらず、受取利息から源泉税率を控除した未収利息は七万三一二五円であることが認められる。

6  別表1ないし3の貸付金について

(一) 右貸付金についての当事者の主張は、別表6のとおりであって、原告正は、昭和五三年一二月末日当時、被告の主張する橋本四郎に対する一〇〇〇万円の貸付金のほかに、別表6の原告主張欄記載のとおり、原告武に一億円、細田利明(元山口組若頭補佐)に一〇〇〇万円、加茂田重政(同)に対し一二〇〇万円、小山秀夫(小山会々長)に対し五〇〇〇万円、青木広海(青木組々長)に対し一〇〇〇万円、吉田勇(瓦井組々長)に対し三〇〇〇万円、寺田晴美(大日本平和会本部長の内妻)に対し一〇〇〇万円、大西康雄(竹中組若頭補佐)に対し一五〇〇万円、嵐義明(同)に対し一〇〇〇万円、大沢国博(竹中組今治支部長)に対し一〇〇〇万円、以上合計二億六七〇〇万円の貸付金が存在した旨主張する。

(二) そして、乙五、一二によれば、正久も公判段階で右主張に副う供述をし、甲三〇六ないし三一三によれば、同じく公判段階で、大西は「一五〇〇万円全額を昭和五四年度中に返済した。」旨、嵐は「昭和五四年度中に五〇〇万円、昭和五六年度中に残額五〇〇万円を返済した。」旨、小山は「昭和五四年、同五五年度中に返済した。」旨、細田は「昭和五五年度中に一三〇〇万円を返済した。」旨、加茂田は「昭和五五年中に六〇〇万円を返済した。」旨、青木は「昭和五五年中に返済した。」旨、吉田は「昭和五五年中に全額を返済した。」旨、寺田は「昭和五六年中に全額返済した。」旨、大沢は「昭和五五年中に全額返済した。」旨、それぞれ別表6の原告主張欄記載の貸借、返済に副う証言をしている。

(三) しかし、甲二九五、二九六によれば、当の正久自身、捜査段階では、貸付金の存在に焦点を当てた取調べにおいても、「昭和五三年四月七日から昭和五四年九月二八日まで服役していた。昭和五三年四月七日時点における貸付金としては、焦げ付き債権八〇〇万円のほか、名前は明らかにできないが、山口組の組員で、自分と同等かそれ以上の親分と呼ばれる人物三名に一〇〇〇万円、一〇〇〇万円、一二〇〇万円から一三〇〇万円の三口の貸付があるが、そのうち一二〇〇万円ないし一三〇〇万円の一口は、本件係争各年分の前である昭和五三年五月ころに返済を受けた。他に貸付金はない。」旨を供述し、二口の貸付金の存在に言及する以外は貸付金の存在を明確に否定していたものである。それだけではなく、借主とされる大西ほか八名の前記各証言内容を仔細に検討すれば、そのいずれもが、昭和四八年ころから同五二年二月ころまでに借入した比較的古い貸借であるというのに、借用証書は存在せず、その大部分が金員の交付について立会人もない正久と二人だけのやり取りで、利息の定めや担保、保証人もないというものであって、仮に、主張の貸金が正久の属する極道社会の情誼的色彩の強い恩借である可能性もあるとの点を十分加味しても、右のような金銭貸借の態様が、巷間なされる貸借の実態と掛け離れていることは否定すべくもない。これに、このような大きな金額の移動を裏付ける証拠がまったくないことも勘案すれば、右各供述、証言をそのまま採用することは困難で、他に本件全証拠を検討しても、原告正の右主張事実を窺わしめる証拠はない。

(四) もっとも、正久が、捜査段階において、自分と同等かそれ以上の親分二名に各一〇〇〇万円の貸付金がある旨供述していたことは前記のとおりであるところ、乙一四によれば、正久は、服役中の昭和五三年七月一九日、刑務所に面会に来た原告武との間で、「加茂田と細田に金を貸してあるから催促してほしい。」旨を述べている事実が認められる。この当時は、本件の税務調査が予想されない時期で、かつ、服役者と面会者との間にごく自然な会話として交わされたものであるから、その信用性は高いといわねばならず、これに、前記認定のとおり、加茂田、細田は竹中組の上部団体である山口組の元若頭補佐の地位にあったから、ほぼ正久と同等か、かつてはそれ以上の地位にあった人物と推測されることからすれば、昭和五三年七月当時、正久が右両名に対し貸付金を有した可能性を一概に否定できない。

しかし、前記のとおり、正久、細田、加茂田の公判段階における各供述によれば、正久の細田、加茂田に対する貸付金は、無利息、無担保でなされたというのであるから、もし、貸付の事実があったとしても、それが互いに勢力を誇示するに足りる山口組の最高幹部同士の貸借であってみれば、一時しのぎの貸借は別にして、それなりの必要性があってのものと考えるのが自然であるが、甲三一〇、乙一五によれば、細田、加茂田の借入動機は自らの必要に基づくものではなく、第三者からの使途のかならずしも明確でない借金の申入れに応ずるためであったというのであって、このような供述はとうてい信用できない。むしろ、乙一三、一五、弁論の全趣旨によれば、正久と右両名の間には、せいぜい数十万円単位の貸借があっても、それも早期に返済されていたことが推測されるものである。

また、本件のように財産増減法による推計計算による所得の算定がされた場合、仮に貸付金があったとしても、それが係争各年に回収されて推計計算により算定された資産に混入し、本来、係争各年分の資産の増加でないものが増加資産として算定されたとの事実がなければ、推計による所得金額の把握を違法ならしめるものではないが、仮に、正久が右両名に対し、いくばくかの貸付金を有したとしても、これが本件各係争年月日に回収されたとの事実を窺わしめる証拠もない。

(五) よって、原告正のこの点に関する主張は採用することができない。

7  未払税金について

甲二〇の一、二二によれば、前記のとおり、仮名、借名による預金であるが、正久に帰属する別表8-1、8-2に掲記の定期預金、積立預金のうちマル優扱い分については総合課税による税率で計算した源泉所得税及び租税特別措置法の規定によって計算した追徴税額、借名定期預金のうち総合課税扱い分については租税特別措置法の規定により計算した追徴税額の合計は、同表末尾の合計欄に記載のとおりであることが認められる。

8  事業主貸について

別表7のうち未払税金を除く項目については当事者間に争いがないところ、未払税金が被告主張のとおりであることは右7に説示したとおりである。

9  事業主借について

正久に帰属する各種預金の受取利息の手取額は、雑所得の金額計算上、収入金額に算入すべきものでないところ、各種預金の係争各年の期末残高が受取利息を含めて計上されている関係上、そのうち受取利息相当額を事業主借勘定として負債に計上する必要がある。

そして、甲二三によれば、別表4の普通預金、別表5-1ないし5-3の定期預金、別表9の通知預金、別表10の積立預金の受取利息は各表の「受取利息」のとおりであり、これを合計すると、別表1ないし3の事業主借欄に記載のとおりとなることが認められる。

10  借入金一億円について

(一) 原告正は、正久が、牧野繁實から、昭和五〇年三月一五日に五〇〇〇万円(以下「昭和五〇年借入金」又は「昭和五〇年貸付金」という。)、昭和五一年五月一〇日に五〇〇〇万円(以下「昭和五一年借入金」又は「昭和五一年貸付金」という。)、以上合計一億円を借り入れて原告武に貸し付けたから、右借入金を期首財産に計上すべきである旨主張し、乙三、五、一二によれば、正久も公判段階で、「〈1〉その詳細は関知しないが、実弟武が産業廃棄物等の仕事をする資金が必要だというので、飲み友達である牧野に二回にわたり合計一億円の借入を申し入れ、無利息、無担保で同人から借り入れた一億円を武に貸し付けた、〈2〉但し、実際には、金員は牧野から直接武に渡った、〈3〉牧野に入れた借用書は、正久の署名を誰かが代書したものを、武が事務所に持参したので、自分が押印した、〈4〉それぞれの返済は期限を延期してもらったので、その都度借用書を切り替え、昭和五三年四月七日から昭和五四年九月までの服役期間中を除き自分で押印した、〈5〉その服役の前日、武に対し、牧野への返済資金を積み立てるために預金口座の開設を指示し、武もこれに応じて預金口座を開設した。」と述べ、原告武(甲三〇四、三〇五の一ないし三)、笹部静夫(乙四)、藤本慎一郎(乙二)、牧野繁實(甲三一五)も公判段階でこれに副う供述をしている。

(二) しかし、これらの各供述の述べるところを整理してみると、〈1〉正久は、原告武から、廃棄物処理場の権利を一億円で購入するのに必要と頼まれ、その使途の詳細を確認もしないまま、竹中組若頭補佐である笹部静夫を通じ単なる飲み友達であった牧野に二度にわたり合計一億円の借入を申し入れ、〈2〉一方、牧野は、姫路市内で経営する建設会社(赤字会社で銀行から相当額の借入金がある。)役員として月額五〇万円、部落解放同盟の世話役として月額五〇万円程度の収入を得ているが、折から、昭和五〇年四月の県議会議員選挙に立候補する選挙資金などとしてタンス預金を所持していたので、原告武が事業や投資に使うという程度のことしか分からなかったけれども、正久が保証人になるというので(この当時、原告武と牧野は面識がなかった。)、無利息、無担保、弁済期を約一〇か月から一年くらい後として合計一億円を貸し付けた、〈3〉原告武は、牧野から、直接、昭和五〇年借入金五〇〇〇万円の交付を受けたが、結局、事業資金に使用せず、同年四月三〇日、右のうち二〇〇〇万円を流用して岡山市内に土地を購入し、残り三〇〇〇万円は同じく現金のまま手元に保管していたが、昭和五一年三月一日に右のうちさらに一〇〇〇万円を流用して姫路市内に土地を購入し、残金二〇〇〇万円を手元に保管していたところ、今度は、産業廃棄物の海洋投棄事業に七、八〇〇〇万円を投資することになり、右の二〇〇〇万円と、再度、正久に依頼して牧野から無利息、無担保で借り入れてもらった昭和五一年借入金五〇〇〇万円を併せ七〇〇〇万円を準備して現金として保管し、昭和五二年七月から投資先の日章技研総業に対し、船員の給与、船舶の修理費等を毎月のように小刻みに資金を投じ始めたものの、その後経営がうまく行かず貸金を回収できないままでいる、〈4〉右のような二度にわたる貸付を仲介した竹中組若頭補佐である笹部は、現金の授受のため原告武を牧野に引き合わせたが、肝心の現金の授受は見ていない上、牧野の従兄弟として同人から借用書の保管、切替えの一切を委ねられて今日に至り、正久ないしその相続人に対する何らの法的措置もとっていないなどというものである。

しかし、右のような各供述が述べんとする事実経過、なかんずく、さして大きな収入があるとも考えられない牧野が、仮に、当時八〇〇〇万円程度の県議会議員選挙の選挙資金をタンス預金として蓄えていたとしても、その過大な資金を、一面識もなかった原告武のさして使途の明確でない資金として用立て(昭和五〇年貸付金)、昭和五〇年貸付金についての大まかな返済期日を経過しても返済がないのに、さらに昭和五一年貸付金をし、しかも、両者いずれの貸付も無利息、無担保で、借用書の保管や切り替えさえ他人(笹部)に委ね、結局、その返済がないまま今日に至ったというのは、常識に照らして不自然、不合理で、男同士の約束をいかに強調したとしても、とうてい信用できるものではなく(このほかにも、各供述を仔細に検討すれば、例えば、各借入に際し、当初、作成したとする借用書の連帯保証人である正久名下に押印した者についての供述が正久と原告武で一致しなかったり、牧野は金員の出所に尋問が及ぶと具体的な供述を避けたりしており、このような基本に係る事実関係についての供述の曖昧さが随所に存在することは、これら供述自体の信用性をも否定するものである。)、他に本件全証拠を検討しても、右の借入金の存在を窺がわしめる証拠はない(もっとも、乙二と弁論の全趣旨によれば、原告武の昭和五一年借入金の投資先と主張する日章技研総業株式会社の昭和五三年事業年度である第六期決算報告書には、原告武から五二四一万二一一一円の借入金がある旨の記載が存することが認められるけれども、仮に、右が真実であったとしても、少なくとも、本件各借入金が存在するとの根拠とはとうていなし得ない。)。

それだけでなく、甲二九五、乙一によれば、正久、原告武は、昭和五七年八月三〇日の捜査段階では、昭和五〇年ころまでは多少の金員を融通し合うことはあっても、本件借入金はもとより、その後は貸借関係のないことを明確に認めていたのであり、これによれば、むしろ前記各供述は、正久の刑事公判対策として口裏を合せた虚偽の供述とさえいい得るものである。

11  利子所得について

甲二二によれば、正久の阪神相互(姫路)における仮名又は借名のマル優扱いの定期預金、積立預金の利息は、別表5-1ないし5-3及び10のとおりであることが認められる。

12  税額計算について

以上のとおりであって、正久の昭和五四年度の所得は別表1の、昭和五五年度のそれは別表2の、昭和五六年度のそれは別表3の、それぞれ被告主張金額欄の「総所得金額」欄に記載の金額を下回らないというべきところ、甲一ないし三によれば、正久の昭和五四年度の所得税額は三六四七万四六〇〇円、昭和五五年度のそれは一億三七七〇万六四〇〇円、昭和五六年度のそれは二〇二一万六七〇〇円であることが認められる。

四  本件重加算税の賦課決定処分について

当事者間に争いのない事実と右三で認定した事実によると、正久は、本件係争各年を通じ、野球賭博等により多額の収入を得ながら、これを阪神相互(姫路)を中心とする金融機関に仮名又は借名で開設した預金口座に入金するなどして、所得税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい、仮装し、これに基づき法定申告期限までに納税申告書を提出せず、また、利子所得の発生した預金については、源泉分離選択課税の選択申告書を提出していないから、預金利息については他の所得と総合して確定申告をしなければならないのに、仮名又は借名を使用して各名義の預金額を非課税限度額である三〇〇万円以下に分散することにより、自己に帰属する利息を隠ぺい、仮装し、これに基づき仮名又は借名名義の非課税貯蓄申告書を提出して、不正に少額貯蓄の非課税制度の適用を受け、源泉徴収を免れるとともに確定申告書も提出しなかったものであるから、右行為は、通則法六八条二項の重加算税の賦課要件に該当し、本件重加算税の賦課決定処分は適法である。

五  以上の次第で、本件甲処分は適法であり、原告正の甲事件請求は理由がない。

[乙事件関係]

一  請求原因1ないし3の事実、抗弁事実中1の(一)(1)、(2)(相続不動産、動産の明細及び価格)は、当事者間に争いがない。

二  原告らと被告の相続税額算定の基礎数値のうち、原告らと被告間で主張が食い違っているのは相続債務の中に牧野に対する前記一億円の借入債務が存在するか否かであるが、これが存在しないことは甲事件において判断したとおりである。

また、弁論の全趣旨によれば、本件相続財産のうち、別表11の順号1の宅地は遺産分割協議で原告武が取得したが、これを除く相続財産については遺産分割協議がなされていないことが認められる。

三  そして、右のとおり、相続税額算定の基礎となる数値は被告主張のとおり(但し、課税価格の算定に当たって控除されるべき債務については、被告主張金額を上回るものと認めるべき証拠はないから、被告主張金額を採用する。)であるところ、法に従い計算すれば、原告武を除く原告らの納付すべき税額は、それぞれ五六万五一〇〇円、原告武の相続税額は一二六万九〇〇〇円(いずれも、前記により算定される相続税額に法一八条所定の二〇パーセントを加算したもの。一〇〇円未満切り捨て。)となることが認められる。

四  無申告加算税賦課決定処分について

甲三一九と弁論の全趣旨によれば、抗弁2の(一)の事実関係が認められ、この事実によると、原告武を除く原告らに対し、納付すべき税額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した金額に相当する無申告加算税を賦課した処分は正当である。

五  重加算税賦課決定処分について

甲三〇五の三、三一九と弁論の全趣旨によれば、原告武は、正久の相続開始時点で牧野に対する合計一億円の借入債務が存在すると主張し、金額を五〇〇〇万円、作成日を昭和五〇年三月一五日、弁済期日を昭和五七年一月三〇日とする借用書(乙一八の一)、同じく、金額を五〇〇〇万円、作成日を昭和五一年五月一〇日、弁済期日を昭和五七年三月三〇日とする借用書(乙一八の二)を作成して相続税の申告書に添付して提出したことが認められるが、正久が牧野に対し右の債務を負担していないことは前記のとおりであって右借用書は架空のものというべきであり、原告武の右行為は、通則法六八条二項の重加算税の課税要件に該当するから、同原告に対する重加算税賦課決定も適法である。

[結論]

以上のとおりであり、被告の正久に対する本件甲処分及び原告らに対する本件乙処分のいずれも適法であり、原告正の甲事件請求及び原告らの乙事件請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、甲、乙事件の訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻忠雄 裁判官 渡邉安一 裁判官 伊東浩子)

別紙一

〈省略〉

別表1 昭和54年分についての、被告と原告の主張金額対比表

〈省略〉

別表2 昭和55年分についての、被告と原告の主張金額対比表

〈省略〉

別表3 昭和56年分についての、被告と原告の主張金額対比表

〈省略〉

別表4 普通預金の内訳

〈省略〉

別表5-1 定期預金の内訳

〈省略〉

別表5-2 定期預金の内訳

〈省略〉

別表5-3 定期預金の内訳

〈省略〉

別表6 貸付金の対比表

〈省略〉

別表7 事業主貸の対比表

〈省略〉

別表8-1 未払税金の内訳

〈省略〉

別表8-2 未払税金の内訳

〈省略〉

別表9 通知預金の内訳

〈省略〉

別表10 積立預金の内訳

〈省略〉

別紙二 処分目録

〈省略〉

別紙三 本件の課税処分の経緯及びその内容

〈省略〉

別紙四 本件の課税処分の経緯及びその内容

〈省略〉

別表11 相続財産(不動産)明細

〈省略〉

別表12 相続財産(動産)明細

〈省略〉

別表13 債務

〈省略〉

別表14 課税価格及び納付すべき税額の計算

〈省略〉

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